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第一章 ビル・ゲイツ豹変す
財務ソフトの攻防

 コンピュータ業界を取り巻く話題が、インターネットとそれを爆発させたネットスケープ社に集中する中、マイクロソフト社は方針の転換を迫られた。
 当時ビル・ゲイツは、ネットワーク社会の到来を実感していたが、それがインターネットであるという確証は持っていなかった。マイクロソフト社の今までのやり方を踏襲すれば、WindowsというOSを梃子にして、新しい自前のネットワークの構築こそが、マイクロソフトの取り組むべき課題だった。つまり、アメリカン・オンライン(AOL)やコンピュサーブのような独自のパソコン送信によるネットワークである。現在Webで展開されているMSN(マイクロソフトネットワーク)は、当初、独自のネットワークを築くことを考えていたのである。

 ネットワークへの入口を制するものが、今後のコンピュータ業界を制するという考え方は、確実に未来見通した卓越した発想であった。おそらくビル・ゲイツはこのとき、つまり1994年以前に、たとえWindowsというプラットフォームが、コンピュータのあまりあるシェアを獲得したとしても、いずれ、別の技術、別の発想、別のアイデアによって、覆される可能性があることを知っていたの違いない。
 そのために、まずOSを梃子にして、ネットワークを構築することで、お金の流れを支配することが重要だった。マイクロソフト社の頭脳と資金力をもってすれば、たとえ後発であっても、アメリカ一のネットワークを築けると踏んだに違いない。もしそれができれば、マイクロソフトのOSを使用する人々の財布の紐にアクセスできるのである。いずれエレクトリック・コマースが当たり前の時代になることは十分予想できたし、それが実現されるまでに、財布の出入口とコンピュータをつなげる仕組みを確立しておく必要があった。もちろん投資する以上、一番にならねばならない。

 この一般コンシューマーの財布の紐を握りたいという発想は、すでに、別の面でも現れていた。それは、インテュイット社の買収であった。
 マイクロソフト社は、いままでOSメーカーの強みを最大限に生かして、OS上で動作する主要にアプリケーションを全て自社のものへとすり替える戦略を取ってきた。ワードパーフェクトやロータス、ボーランドやノベルといったアメリカのソフトウェアでトップシェアを誇っていた会社の製品は、低価格で登場したマイクロソフトオフィスのおかげで手痛い打撃を受け、一気にシェアをおとした。
 ワープロや表計算、データベースといった一般的なアプリケーションでシェアを確保したマイクロソフト社が狙った次なる獲物は、財務ソフトであった。財務ソフトのトップシェアは、インテュイット社の「クイッケン」というソフトであった。

 マイクロソフト社は「クイッケン」を射程にいれ、追撃にかかった。それがマイクロソフト社の「マネー」というソフトであった。しかし、インテュイット社は手強く、簡単にシェアを確保することはできなかった。何度も「マネー」強化し、「クイッケン」の機能を上回ろうとしたが、ワードパーフェクトやロータスを蹴落としたようにはいかなかった。インテュイット社のCEO、スコット・クックは、マーケティング戦略に優れ、他社を受け入れないアドバンテージを確立していたからである。
 インテュイット社は、マイクロソフト社と直接対決するのではなく、その裏をかき、ゲリラ的にマーケティングを展開した。特に小売店をコントロールする術に長け、小売店が、価格の安い「マネー」を売るのではなく、「クイッケン」を売るように仕向けた。

 さしものマイクロソフトも、機能や価格といった、極めて分かりやすいスペックだけでは、財務ソフトのシェアを獲得することはできなかった。ここではOSの梃子は効かなかった。このため、ビル・ゲイツは、なんと15億ドルという大枚をはたいて、インテュイット社を買収(一応合併)することにした。マイクロソフトは当初、財務ソフトに目を付けた1989年に、インテュイット社の買収を持ちかけたが、スコット・クックはこれを断った。しかし15億ドルを提示されて、インテュイット社は買収に応じることになった。1994年のことであった。
 しかしインテュイット社の買収は、司法省の介入によって、中止を余儀なくされた。マイクロソフト社がインテュイット社を買収することで、財務ソフトの分野がほぼ独占されるということが、競争を排除しコンシューマーの利益を損なうと言うのが、司法省の言い分であった。この訴訟の背後にいたのは、ノベルやボーランドの幹部であった。いわば、この訴訟は彼らの復讐戦であった。

 結局、ビル・ゲイツは法定で争うことをやめ、インテュイット買収は流れた。インテュイットは独立系の企業として残り、マイクロソフト社は、財務ソフトの分野で一番になることを取りあえず断念した。
 おそらくビル・ゲイツの脳裏には、自前のネットワークと銀行の決裁システムをリンクした財務ソフトを牛耳れば、コンシューマーの財布の紐も握ることができるという思いがあったのではないだろうか。こうした発想が、マイクロソフト社のインターネットへの取り組みを遅れさせた、というのは言い過ぎであろうか。インターネットのWebが爆発する前に、インターネットの潜在的な可能性を見通していたマイクロソフト社の幹部はたくさんしたし、ビル・ゲイツも、彼らからプレゼンテーションを受けていたのである。しかし、ビル・ゲイツは実際に「ネットスケープ・ナビゲーター」が瞬く間に、OSのプラットフォームを越えて、新しいプラットフォームを確立する現実を目の辺たりにするまでは、インターネットの重要性をはっきりとは認識していなかったのだ。

 ところがインターネットの登場で、財務ソフトよりも優先すべき事があるということを、かれは理解した。だからこそ、インテュイット社を買収する訴訟を受けて立たず、船首を大きく変えていくことになったのではないだろうか。彼の性格からと言うと、インテュイット買収が本当にマイクロソフト社になくてはならない重要なものであれば、法廷でも争ったばずである。
 もとよりそれで彼のコンシューマーの財布の紐を握るという戦略は揺るぎもしないだろうが、環境の変化が、戦術の変化につながっていった。となると、Webブラウザーで一番になるということが、インテュイット買収をあきらめたビル・ゲイツが選択すべき唯一の道ということになる。
(1999/07/14up)
「DTP-Sウィークリーマガジン 第15号(1999/02/04)」掲載



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