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8.迷ったけれど結論はでなかった


 制作を受けるとすると、まず自分でするということが考えられる。もちろんこれが一番いい方法なのではあるが、いかんせんQuarkXPressは日常的に使用しているソフトとは言い難く、大量のページをこなすのは正直言って自信がなかった。もちろんQuarkXPressは決まったレイアウトのものを大量に処理するためのソフトである。だから300ページといっても原稿さえできていれば、あとはテキストを流し込んで画像を貼り込むだけではある。そうではあるが、「是非させてちょうだい」なとどきやすく受ける気にはならなかった。
 もう一つ選択肢があって、私の近くにいるQuarkXPress使いに依頼するというものだった。寺田さんから見ると、書籍のレイアウトなど簡単にこなせてしまうQuarkXPress使いが私の周辺にはいるだろうと思ったらしい。しかし、まわりには発展途上のIllustrator使いはたくさんいても、QuarkXPressバリバリはいなかった。
 もう2〜3年前になるが、ある商品カタログの見積りが舞い込んできた。で、大阪ではかなりデジタルでは実績のある製版会社にQuarkXPressでの制作を打診したが、何百ページもあるのなら、従来の方法で版下を組んで製版したほうが早いという。しかもそのころは製版代の値下がりは止まるところを知らないほどだったので、値段的にもフィルム出力とあまり変わらないというのだった。
 だいたい通信販売のカタログのようにとてつもないボリュームのある印刷物は台ごとに、いくつもの製版会社でまわしあって請け負うのが一般的である。もちろん元請けは1社なのだが、1社で何百ページも社内で製版すると、他の仕事はできなくなるうえ、時間もそれなりにかかる。それで数社に振り分けるのである。もし300ページあっても5社で割れば1社あたり60ページになる。単独で社内で製版すると1ヵ月かかるものが、振り分けると、まあ1週間ぐらいでできあがってしまう。
 そういう製版会社の助け合いは、歳末でなくとも恒常的に行なわれていて、互いに巨大にに設備投資を持つ以上、設備やレチッチマンを休ませるわけには行かないという気持が働き値を結ぶようである。よくいえば製版会社のリスク・マネージメントかもしれん。これは製版業界だけでない。そういうカタログなどはオフセット輪転機で行なわれるが、そこでも業界の「美しい」助け合いは行なわれているようである。
 というような業界のうるわしき体質を考えると、QuarkXPressで何百ページもあるカタログを同じような納期でこなすのは、難しいようだった。版下だって、そういうものはデザイン事務所と版下屋さんと狭間にいるような、安い仕事をたくさんこなすことを商売にしているところがあって、そういうところではやはり仕事が早いのである。そういうところでは社員はいつも家に帰れないくらい忙しいのであるが、デザイナーなのか版下のオペレータなのか自分でもわからなくなったデザイナーが、安い給料に憤りを感じつつも「いつかは辞めたるぞ」と心に誓いつつ、黙々と切り貼りしてたりするのである。
 いまではQuarkXPressで300ページのカタログであれば、ホイホイとできてしまう印刷会社や製版会社は少なくないと思うが、少し前まではそんな具合であった。
 そのうえ大阪ではそういうページもの仕事はあまりなく、書籍の仕事などにいっては東京と比べ物にならない。横綱と序二段ぐらい仕事量が違うのだ。私の知っている書籍を専門に請け負っている印刷会社でも、実情は電算写植であって、MacintoshのDTPには多少気が惹かれるものの、導入には至っていなかった。
 そんなことを考えていると、どこから依頼するというのは難しいという気がしてきた。QuarkXPressで大量のページを処理してくれるところが、よしんば身近にあったとしても、うまく思い通りのものになるかどうかと考えると、「うーん」と、そこで思考が止まってしまう。やはり自分でするほうがいいのだろうな、偉そうにDTPのページを作っておいて、QuarkXPressを扱えないと思われるのはどうかなとも思い、と同時に、この際であるからしてQuarkXPressなんぞ簡単に使いこなして、QuarkXPressもお茶の子サイサイであることを証明してみることも有意義なことではないか、なとど思ったりもする。
 「ウーン、ウンウン」と頭のなかでいくら考えていても、結論はでそうにもなく、この話はもう少し待ってください、というと、寺田さんも「急ぎませんから、取りあえず文字原稿だけでも先に進めましょう」というのだった。
 というわけで取りあえず文字原稿をひととおり書き、そのときまでに制作をどうするか決めようということになった。ペンディングというわけだ。とはいえ、寺田さんの目は「是非とも制作までやって欲しい」とささやいてたようだった。
 あとは東京駅に戻り、八重洲の地下街で新幹線の時間がくるまで、ビール片手にあいも変わらず「出版社の実情」という下世話な話を聞きまくり、「執筆のご依頼」メールの送り主との「邂逅」は、ハラハラドキドキの場面で盛り上がりを見せたものの、無事終わろうとしていたのだった。



このコンテンツは1997年9月24日に書かれたものです。

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