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第二章 権利ビジネスの崩壊
デファクト・スタンダードが価値を決める

 アプリケーションソフトにしてもフォントにしても、ソフトウエアというもののもっとも大きな問題はそれ自身の不法コピーにある。デジタルの信号だから、不法コピーはいとも簡単にできる。しかも完全なコピーができてしまう。
 こうしたコピーを防ぐためには、ソフトウェアの権利を高らかに主張しなければならない。だからソフトウェアに不法コピーが行なわれないようにプロテクトがかけられていたりする。しかし不法であってもコピーすることに利益があれば、そのプロテクトは確実に外される。所詮プロテクトは人間が考え付いたものなのだから、人間によってそれを解読し外すことは可能だろう。

 しかし本当に不法コピーがなくなれば、ソフトウエアはたくさん売れるのだろうか。不法コピーとソフトウエアの販売に相関関係があるとしても、それがトレードオフの関係にあるということは、必ずしも言えないのではないか。少なくとも不法コピーが多いから、その分だけソフトウェアが売れない、というのは誤った認識だろう。
 とはいっても、実際にはプロテクトを強化して販売数を大幅に拡大したソフトウェアもある。たとえば定番のDTPソフトであるQuarkXPressは、3.1にはフロッピーでかけていたプロテクトを、3.3からハードウェアキーに変更して、販売数を大幅に増やした。プロッピーでのインストールプロテクトは、実際には完全なインストール制限ではなかったので、複数のコピーをインストールすることができたが、3.3からはハードウェアキーを装着しなければ使用できなくなったのである。これによって、風聞するところでは販売数が約5倍に膨れ上がったという。噂なので正確な数字はわからないが、プロテクトキーによって販売数が飛躍したことは確かである。

 しかしだからといって、それを後追いして、一般ユーザー向けのアプリケーションソフトがプロテクトを強化してきたかというと、そうではないだろう。実際にはハードウェアキーのような強固なプロテクトを施しても売れていくソフトウェアはごくごく少数であり、実際にプロテクトを強化するソフトはほとんどない。むしろアプリケーションソフト同士の激しい競争の中では、プロテクトなどという行為をしても販売できるケースは少なく、必要最小限度という程度のプロテクトになっいるのが実体だろう。
 確かにQuarkXPress3.3Jはある意味では完成されたアプリケーションソフトで、その地位を脅かす競争相手がほとんどいなかったこともあったし、しかもプロテクトを施したときにはDTPのデファクト・スタンダートになっていたから、ユーザーはプロテクトを受けいれるしかなかった。しかしそのプロテクトの為に、新しいバージョンへの移行が大きく疎外されてしまったことも、また否めない。もちろん4.0移行問題は、高額なバージョンアップフィーによるものも大きいが、物理的なプロテクトによって潜在的な需要を摘み取ってしまった部分もまた大きい。
 しかしQuarkXPressはプロテクトを施したから、売れたわけではなく、QuarkXPressがデファクト・スタンダードになり、DTP業界の成長期とハードウェアキー装着の時期が一致したから、大いに売れたに過ぎない。もし3.1のときにハードウェアプロテクトをかけていたら、スタンダードになれなかったかもしれない。

 いずれにしても、不法コピー防止のためのプロテクトが最初にあるわけではなく、まず社会に認知され、その価値を認めてもらうことが必要である。そうしてあるカテゴリーの中で一番にならねばならない。しかし一番になったからといって、プロテクトがかけれるわけではない。プロテクトをかけるのであれば、圧倒的なシェアを独占しなければならないだろう。逆に言うと、圧倒的なシェアを握っていれば、プロテクトをかけても、つまり制限を加えたとしても、シェアが一気に落ちることはないのである。
 しかしシェアを握り続けるためには、プロテクトは邪魔になる。新しいユーザーが、使用にあたって制限のあるソフトを選択するわけではない。同じようなあるいはそれ以上の機能を持っているソフトが出現するとプロテクトの存在は、シェアを一気に落とし、自らを立場を落としめる可能性を秘めている。プロテクトは諸刃の刃なのである。

 もしプロテクトをかけずにシェアを握っていれば、同じカテゴリーで新しいソフトが登場しても、ユーザーは簡単に浮気をしないだろう。また新規のユーザーも、最初は不法コピーしていても、その中から正規のユーザーが生まれてくる可能性は少なくない。もちろん不法なユーザーの全てが、正規のユーザーになるわけではない。
 こういう考え方をする場合、ある程度不法コピーを黙認することになる。不法コピーのユーザーは好ましいことではないけれど、ある程度は認めざるを得ないということになる。不法コピーユーザーは正規客ではなく、見込み客というわけである。不法コピーユーザーの大半は、使用頻度がそれほど高くないライトユーザーであることが多く、そういうユーザーがヘビーユーザーになったとき、正規のユーザーに変わる可能性は決して少なくないからだ。

 もちろん中にはヘビーユーザーであるにも関わらず、正規ユーザーにならないものも数多くいる。しかし、コピーすらされないものは、所詮市場価値がないものであって、コピーして使用するということは、ある意味ではそのソフトウェアに価値を認めているということでもある。
 だから本来であれば、そういう不法コピーのユーザーを正規ユーザーにするための政策を行なって、正規ユーザーと不法ユーザーの間に、目に見えない垣根を作り、不法ユーザーを正規ユーザーになるべく誘導していくべきなのである。実はそれこそが、ベンダーのサポートの大きな価値なのである。

 著作権について一時もめにもめたレンタルビデオも、結局は使用料を払うことで決着がついた。しかしレンタルされたビデオがレンタルされた先でコピーされていたとしても、そこまでは追及できない。最近はビデオデッキでもコピーガードされているか、それほど強固なものではない。つまりレンタルビデオの目的の一部には複製して所有したいというユーザーが少なからずいて、そういうユーザーのレンタルによって、レンタル業が成り立っている現実は否めないのだ。そしてまたレンタルビデオに作品を卸す映画産業にしても、レンタルビデオからの収入が、制作費を支える大きな柱になってしまっている。もし映画会社が完全なコピーを撲滅するとしたら、やはりレンタルビデオに対する作品の提供はできなくなり、そうすれば、映画産業は収入減を失うことになる。むしろ多少コピーされることはあっても、それを黙認し、そこから収入を得るほうが明かにメリットは大きいのである。

 ソフトウェアの場合は、不法にコピーされることで直接的なメリットはないだろう。それによって収入が得られるわけではない。しかし不法であってもユーザー層が大きくなることは、いずれは正規ユーザーになるかもしれない予備軍、つまり見込み客の数が大きくなることなのである。そしてまた、不法ユーザーの存在は、新しいライバルがどれほどの機能を誇っていても、不法ユーザーの砦に守られていれば、即座にシェアを失うことはないのである。
 ソフトウェアでビジネスする場合に、一番大事なことは、まずスタンダードになることである。シェアが高くなればなるほど、独占率が高くなればなるほど、蜜は甘くなる。著作権であろうとなんであろうと、不法コピーユーザーにソフトウエアの権利を主張しても、それでビジネスが成立するわけではない。
 まずデファクト・スタンダードになるためには、当然プロテクトなどは邪魔な存在でしかない。プロテクトなどかけずに、いかにユーザーを増やしていくのかということこそがもっとも重要になる。そのためには権利などというものは忘れてしまったほうがよい。権利を主張するのは全く同じものを販売した同業者だけでよいのだ。不法コピーを取り締まることは、ビジネスの邪魔になっても、助けにはならないのである。

 むしろデジタルの商品では、簡単に複製がとれることを逆に応用して、複製させるようにするしかない。デジタルで簡単に複製コピーがとれるものに対して、権利を主張することは糠に釘を差すようなものである。
 もちろんプロテクトが一切不要だと言うわけではない。商品にあまりある魅力があれば、プロテクトは成立するだろう。しかしプロテクトをかけた分だけ、マイナス要因が働いているのも事実なのである。そして完全な、一切のコピーを認めないやり方はいずれは自壊する。デファクト・スタンダードはオープン化の波の中で生まれてきたものなので、クローズドな環境の中では育たない。プロテクトをかけると言うことは、オープンを捨ててクローズドに近づくと言うことでもあるのだ。
(1999/12/03up)
「DTP-Sウィークリーマガジン 第42号(1999/12/03)」掲載



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